友人同士のふざけ合うのは、楽しいと思うが、悪ふざけはなるべくしない方がよいと思います。
その理由について、まずは、個人の体験を聞いてください。
個人の体験その1
学生時代、「技術」の授業で、「はんだこて」を使う機会があった。
その時に、ふと思いついて、電源に繋いでいない、冷たい「はんだこて」で同級生の腕を軽く引っ搔いてみた。
すると、友人が「熱!」と反応したので、「電源に繋いでないよ」と、「はんだこて」を素手で握って見せたら、その同級生は「騙された~」という感じで、笑っていた。
次に、その同級生が、同じいたずらを、別の同級生にやったのだが。。。。
「電源繋いでないよ」とタネ明かしをしたのに、騙された側が、自分が使っていた熱々の「はんだこて」を、仕返しに、同級生の腕にこすりつけた。
同級生の腕はミミズ腫れ状に火傷して、痛々しかった。
冷たい「はんだこて」を腕に当てられて、タネ明かしされてなお、仕返しとして、自分が使用中の熱々の「はんだこて」を友人の腕につける思考が理解できなかった。
同級生が、そのことを抗議しても、「仕返しだ!」とキレていて、話にならない。
こいつ「やべ~」と思った。 ※同級生、ごめんね。
ちなみに、そいつとプロレスごっこしたときに、後ろから首を絞められて、タップ(ギブアップ)しても、緩めてくれず、死ぬかと思った時も、同じことを言っていた。
格闘技ジムや道場などで、マススパー(寸止め)中に激高して、ガチ殴り合い始める人物や、関節技で加減できず相手を怪我させる人物は「ジムあるある」だが、こいつも、そういうタイプだと思う。
個人の体験 その2
学生の頃、校舎の屋上(立ち入り禁止)に友人5人で登ってみることになった。
管理用の非常梯子から屋上に上がった後、屋上の縁(柵がない)に、近づいて下を覗き込んだりしていたのだが、その時、「わっ」と後ろから押す真似(実際は触っていない、声だけ)をしてお互いふざけあっていた。
その後、屋上から降りるための非常梯子に行くまでに、校舎の屋上の縁を通る必要があったのだが、屋上の縁に差し掛かったところで、「ドンッ」といきなり後ろから突き飛ばされた。
体が半分、屋上から転落しかけて、とっさに建物の縁を掴んで助かった。
そこで、押した奴に抗議したら、「お前もさっきやった」と言い張る。
いやいや、ワッと言っただけで、実際、触ってないだろ!といっても、「仕返しだ!」と言い張り、話にならない。
この時、まるっきり理論が通じない人間がいると思った。
※①とは別人です。
個人的な体験を二例挙げたが、実際に死亡事故になったケースとしては、河原でバーベキューして、泳げない友人を川に突き落としたとか、工場で、エアーコンプレッサーをお尻に吹き込み内臓破裂とか、橋の欄干に登った友人を、面白半分で突き落としたなど、いくらでもある。
恐らく、表面に出ていないが、悪ふざけの結果、死亡して、単なる事故として処理されているものは、その数倍はあると思います。
※体験2で、もし転落死していたら、事故として処理されていたと思う。
私の後ろは、そいつしかいなかったので、目撃者はゼロだった
こうしたことが起こる原因だが
根本的に、人間の「認知のゆがみ」にある。
10人集まれば、境界知能、アスペやADHDといった発達障害、さらにパーソナリティ障害などの要素を持つ人が、10人中3,4人は存在していて、認知が普通じゃない人は、どこにでもいると考えられる。
※白黒ではなく、誰もがグレーゾーンの要素は持っている
具体的に、三つの大きな構造的な原因があると思う。
第一に、物事の軽重、大小の区別が付かない人で、世の中にはかなり存在する。
心理学的に、「返報性の法則」と呼ばれる「恩には恩」、「嫌がらせには、仕返し」といった形で、行動する心理があり、適度なバランス、同レベルを返報することで、双方の調和が保たれる。
ところが、物事の大小、軽重の区別が付かない人は、このバランス感覚がない。
彼らの頭の中では
・冷たい「はんだこて」を付ける と 熱々の「はんだごて」を付ける
・ワッと声だけで押す真似する と 屋上から不意に突き落とす
の違いが、分からないようだ
※過大な仕返しをする人は「負の返報性の法則」というらしい
第二に、行動と結果の因果が理解できないケースである。
信じられないくらい、自分の行動の結果を想像できない人がいる。
こういう人は、~すべき論、善悪論、マナー、好き嫌いなどの固定観念だけで生きている人に多い。高学歴なインテリとされる人の中にも、結構存在する。
それでも社会生活は成り立つが、突然、とんでもない行動を起こすことがある。
観念論的に正当化できれば、どこまでも残酷になれる。
しつけや、教育という名目での虐待やモラハラで、死亡事故まで起こすようなケースだ。
第三に、加害衝動性である。
先天的に、平常時の脳内の快楽ホルモンの分泌が少ない人は、退屈しやすく、危険な刺激を求める行動をとりやすい。
興奮を求めて、トラブルを起こしたり、悪事や暴力を働きたい、加害衝動を心の内に秘めている人は、一定の割合で存在する。
加害衝動が強すぎると大抵犯罪者になるが、多くの人は、抑制し社会生活に順応している。
しかし、そこに、怨恨と仕返しを正当化できる理由ができて、さらに、実行するチャンスが重なった瞬間、加害衝動が抑制力を上回って、とんでも行動に走るケースである。
ちなみに、瞬間的な衝動が強すぎて、いくら理性で分かっても本人は制御できない。
性犯罪などの再犯率が高い理由も、この辺の理由だ。
基本的に、悪ふざけ等での事故は、上記の三つ、「物事の大小が分からない」「行動の結果の想像力がない」、「加害衝動」の組み合わせで起こっているように思える。
※DV等の問題は、ほとんどがこのあたりだと思う。
体験2のケースは、恐らく、以前から私のことを気に入らなくて、柵なしの屋上という危険な場所で、仕返しする大義名分が得られたことで、「今がチャンス!」と、一気に加害衝動のスイッチが入ったのかと思う。
こうした人物から身を守るためには
第一に「人を絶対に信用しない」ことである。
自分でビジネスをしていると、理解不能な行動や主張をする人に、遭遇する機会が多い。
こういう人も、サラリーマン生活は出来ていて、一見、最初は普通なのだが、突然、理解不能な行動・主張を始めるケースがある。
しかし、学生生活やサラリーマンでは、お互いに利害関係が少なく、相手に隠された「狂気」には、気づきにくい。
身近な人間であっても、100%信用せず、心の片隅に、そういう可能性を考慮しておくべきだと思う。
第二に「悪ふざけをしない」ことである。
悪ふざけをすると、相手に仕返しをする理由を与えてしまう。
いくら無害ないたずらでも、100倍返しされる危険がある。
また、仕返しは、ずっと後、すっかり忘れた頃に、危険な場所で「後ろからドン」される危険もある。
第三に、危険な場所に近づかない。
こちらに非がなくても、危険な場所、さらに周囲に目撃者がいない状況は、加害衝動を一気に高めます。
基本的には、危険な場所には近づかない、危険な場所では、最大限の警戒を怠らないことが必要です。
おわりに
昔、仕事で海外調査に行っていたときに、イギリスの地下鉄で、皆が線路側に背を向けて立っていた(日本では、線路側を向いて並ぶが普通)。
理由を現地在住の人に聞いたら、後ろから線路に突き飛ばされる事件が多いからだそうだ。
ちなみに、その人は、階段から突き落とされたことあるらしい。
※駅の中は、防犯カメラだらけ
アジア人は、狙われやすいから気を付けてと言われたのだが
日本の「ぶつかりおじさん」の比ではない、やばさで、海外の人のセキュリティー意識の高さに納得した。
日本は安全ではあるが、かつての武士のように常在戦場、あるいはゴルゴ13とまではいかなくても、警戒は怠らないようにしておいた方がよいと思った。

